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51年式メルセデスベンツ170Sコンバーチブル
CARZY MAG
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FIA Formula1 Drivers Parade 2011 - MERCEDES BENZ 170S Convertible

FIA フォーミュラ1 ドライバーズパレード2011 - メルセデスベンツ170Sコンバーチブル
words / Jun Nishikawa

クラシックベンツ、若手F1ドライバーとともに鈴鹿サーキットを激走す?!

夏休み前、旧知のフクイさんから連絡が来た。今年も、鈴鹿で“例のイベント”があるから来ないか、という嬉しいお誘いだ。例年、いろんなイベントと重なってしまって、行けずじまいだったのだが、今回は何とか都合がつきそうだ。それに京都にも引っ越したことだし、鈴鹿はずいぶん近くなった。都内から富士に行くようなものだし…。
例のイベントとは、フクイさんが取り仕切るF1ドライバーズパレードに出て運転手を務めること、である。問題は、だ。古い、できればF1出場エンジンのメーカー/ブランドのオープンカー(たとえばフェラーリならデイトナスパイダー、とか)をどうやって調達するか、である。
F1ドライバーズパレードとは、決勝当日のスタート進行に含まれる伝統行事である。出場ドライバーの紹介がメインストレート上で行われ、そのままドライバーは所定のクラシックオープンカーの助手席に乗り込んで、コースを一周まわり、スタンドの声援に応える、というもの。
F1という、言わば自動車最先端の技術を争う一大イベントにおいて、クルマの文化的かつ歴史的な側面も大事に育てていきませんか、という、FIA肝煎りの企画であり、各国のグランプリでも開催されている(モナコのようにスケジュールの都合でバス方式とするなど割愛される場合もあるが、それじゃあやっぱりアジ気ナイ)。言い換えれば、その国のクルマ文化度が、テレビ放映を通じて全世界へとつまびらやかにされる、というわけだった。
51年式メルセデスベンツ170Sコンバーチブル
51年式メルセデスベンツ170Sコンバーチブル
出る、となったら、気合いを入れて、クルマを用意しなければならない。F1に出ているブランドが優先される(とはいえ、車両の取捨選択とドライバーの組み合わせはあくまでもFIAが決める)というから、台数的にみてメルセデスベンツが圧倒的に有利そうだ。いや、まてよ、ルノーの古いオープンなら確実じゃないか?否、確実だけれど、そんなもん周りには見当たらない。やっぱり、ベンツだ…。
というわけで、飲み友達のUセンセイから、51年式のメルセデスベンツ170Sコンバーチブルを借り出すことに成功した!
なるほど、名車である。審査はすんなりオッケー。あとは、誰が横に乗ってくれるのか、それだけを楽しみに、決勝当日の早朝、鈴鹿のパドックに入った。
ドライバーズパレードに出るクルマたちが、1&2コーナーに囲まれた奥のパドックにズラリと並んでいる。M・ベンツ300SLが、ジャガーXKロードスターが、ブガッティが、シェルビーコブラが、フェラーリ250が、惜しげもなくその肢体を秋の日差しにさらしていた。その光景はまず間違いなく、日本でもっとも大規模な、“クラシックオープンカーだけの集い”でもあるだろう。
出発は午後。だが、なんせ進行にうるさいF1レースのこと。ボクたち運転手は朝早くからクルマの脇でずっと待機、というわけだったが、好き者にとっては決勝当日のサーキットの中にいるというだけで、時間が経つのを忘れてしまう。ましてや周りには宝物のようなクルマばかり。なかなか味わえない“空間の妙”が、この日の朝のBパドックには、確かにあった。そして、見上げれば向こうに大観衆が…。
説明会が開かれた。そこで、今日の段取りと横に乗せるドライバーが発表される。ベンツユーザーといえば、元世界王者が三人!ハミルトンとバトンのマクラーレンコンビか、はたまた皇帝シューマッハか…。すみません、組み合わせが発表される前までは、その三人しか頭になかった。なんせ根っからの楽観主義者ですから…。じゃないと、スーパーカーなんて買えませんって。
それはさておき、いよいよ発表である。順次、ドライバー名が読み上げられていく。そのたびに、どよめきが起こる。マッサ、うぉおおお。ウェバー、うぉおお。フェテル、うぉおおおおお。カーティケアン、うぉ。
アロンソ、バトン、ハミルトンが大喝采で発表され、シューマッハと小林カムイでそれが頂点に達した。で、オレの相手は、いったい誰なんだ?
「メルセデスベンツ170Sの西川さ〜ん、エイドリアン・スーティルでお願いしま〜す」
51年式メルセデスベンツ170Sコンバーチブル
51年式メルセデスベンツ170Sコンバーチブル 51年式メルセデスベンツ170Sコンバーチブル
スーティルは男前である。日本でF3を戦ったこともあるから、かなりの日本びいき。何となく、話もしやすそうだ。例の事件で評判とシートを落としたが、そんなことは鈴鹿の時点じゃカンケーなかった。かえってシューミーとかハミルトンとかが乗り込んできたとしたら、ひと言もしゃべれないだろう、と気を取り直して、進行をぢっと待つ。
出番だ!まずは順番にストレートエンドからコースに入ってゆき、ゆっくりフルコースを一周。これがまた、至福の瞬間だ。なんせ決勝直前である。スタンドは満員御礼。テレビで見ているのとは大違い。歓喜の渦にまき込まれたような気分。練習のつもりだろうか、声援やフォーンもやたらと飛びかう。何やらドライバーになった気分。
調子に乗って速度を上げると、タイヤが即、悲鳴をあげた。なるほど、路面の食いつきが尋常じゃない。けれどもヘアピンから向うのでは、心なしかクルマが滑った気がした。あぶない、あぶない。オイルでもぶちまけたら、それこそ一大事。大目玉を喰らうだけでは済まされまい。
シケインを転けそうになりながらクリアして、ホームストレッチ。赤絨毯の脇に整列した。ほどなく、紹介を受けたドライバーたちがやってくる。
スーティルが、丁寧にドアを開け、助手席に座り込んだ。軽く挨拶。手早くプログラムにサインをねだり、いざ、出発!
隣でスーティルが観衆に手を振っている。こちらまで晴れがましい。ほどなくフレンドリーな会話が始まった。御殿場に住んでいたんだ、ここは全開でいけるんだよ、今のはいいラインだったね、などなど。極めつけは、「へえ、鈴鹿ってこんなに広い道だったんだ…」。なるほど、時速300キロの住人は、言えることが違っていた。
これまで何度か鈴鹿のフルコースを走ったことがある。けれども、あの一周+1は、それまでにない、夢のような周回だった。今でも、スーティルの笑顔と観客の声援がフラッシュバックしてきて…。

『コスモスの、乱れるがごとき、スタンドに、夢まぼろしか、日輪の華』
51年式メルセデスベンツ170Sコンバーチブル
※記載されている内容は取材当時のものであり、一部現状とは内容が異なる場合があります。